WARO KISHI + K.ASSOCIATES ARCHITECTS

京都に還る_home away from home京都に還る_home away from home

竣工
2016.1.28-2016.3.20
所在地
東京
用途
個展
写真
Nacása & Partners Inc.

京都に還ろう、と決めた。考え始めた時期については定かではないが、最後の決心の瞬間だけははっきり覚えている。1994年が明けて暫く経ったころに、「紫野和久傳」の設計を依頼された時だった。

自分は現代建築家であるとの思いから、コンテンポラリーな建築をつくり出すことが責務であり、またそれが当時の自分の求めていた建築の姿だった。ところが「紫野和久傳」の敷地は大徳寺横、しかも「日本的な」空間であることを求められる。そのようなプログラムからどのようにすればコンテンポラリーな建築が導き出されるのか、皆目見当が付かなかった。そんな人生初めての試みの中、戸惑いと混乱の中で決心したのが「京都に還る」ということだった。

しかしその還るべき「京都」を探すところから自分の1990年代は始まったのだ。プロジェクトが東京や国外へと拡がる一方、京都との縁が遠くなり「京都」への想いはさらに強さを増した。

京都で建築家としての活動を始めた1981年以降、同じくしてその京都の大学で教鞭を執り、以来、京都芸術短期大学(現在の京都造形芸術大学)、京都工芸繊維大学、そして京都大学という3つの大学で、設計・デザイン教育と研究活動にも関わり続けてきた。つまりは1981年から現在まで変わらず、建築家としての設計実務と大学での教育研究活動とを併行してきたのだ。そのことを敢えて意識したことさえないほど、私にとっては自然で、どちらも欠かせないものだった。

そして2016年、ようやく気付く。

「京都に還る_home away from home」

それは物理的に京都に帰還するといったことではない。

京都という都市に合計すると40年以上住みながら、20年以上が経過した1990年代になってようやく「京都」に関わることを決心し、それが「京都に還る」ことだと分かるまで、決心からさらに20年ほど必要だったということに。

2016年になり、ようやく「京都に還る」、この都市に帰還することの意味がわかりかけてきたところだ。

この展覧会はそんな「京都」から時に逃げたり、時に利用したりしながら建築に関わり続けてきた私の現在であり、作品を展示するだけではなく、私という建築家のアクティビティの有り様全てを表現しようとした。言い換えると、私自身の展覧会であると同時に、私に関わった人たちの協働の成果でもあるのだ。